今回は名古屋市中川区にある魚市場廃墟を紹介していきます。
とは言え廃墟化が早いってだけで今回は廃墟の定義からは外れます。
廃墟は長年かけて朽ち果てていく建造物なのですが、今回紹介する下之一色魚市場は2021年4月で営業を終了しました。
使われていた建物が古く、使われなくなってから時間が経っていないにもかかわらず劣化が早く、何も知らないでこの建物を見ると長年使われていないように見えるので、廃墟と名乗らせて頂きました。
実際は廃業した市場です😅

こちらが下之一色魚市場
市場として使われていた建物は解体されたそうですが職員の方々が使っていたこちらの建物は残っています。
内部には冷蔵庫やロッカー、また事務所が入っていたみたいです。

下之一色魚市場の概要を説明すると大変なので、今回は中日新聞の記事を引用します↓


一九一二(大正元)年に設立され、海産物の取引拠点として親しまれた名古屋市中川区の下之一色(しものいっしき)魚市場が十三日、営業最終日を迎えた。閉鎖を惜しむ客が早朝から多く訪れ、最後のにぎわいを見せた。
 庄内川と新川に囲まれた下之一色地区はかつての漁師町。五九(昭和三十四)年の伊勢湾台風を機に漁業権を放棄した後も、魚市場では市中央卸売市場などから海産物を仕入れて朝市が続いていた。だが新川の堤防改修のために建物を取り壊す必要に迫られ、営業終了の方針が決まっていた。 

引用はこんな感じです、漁業協同組合みたいなのが設立されたのが大正時代なのですが、漁業の街として栄えだしたのは江戸時代らしいです。
昔下之一色魚市場の前には海が広がっていましたが、昭和に入り伊勢湾の大規模な埋め立てが始まり水揚げができなくなったそうです。
その後は他の魚市場から魚を買ってきてこちらで販売するスタイルになり、令和の時代まで生き残ってきました。
下之一色魚市場の廃業理由は目の前の新川堤防の改修で市場が邪魔になっただけで、売り上げが落ちていた訳では無さそうです。
こちらの建物は恐らく昭和時代に建造されたと思われますが、見た感じかなり古いです。
重厚な冷蔵庫の扉、クレーンのレール等が残されています。
建物はコンクリート製ですが、一部剥がれ落ちた壁の内部から木材が見えていました。
建造物の建設方法は詳しくないですが、鉄筋コンクリートではなく木筋コンクリートなんでしょうか?🤔
それか壁側だけ木材を貼り、その上からセメントコを塗った感じかもしれません。
クレーンのレール等が設置されている事から重量物を持ち上げるだけの強度が必要なので、骨格は鉄筋なんでしょう。

魚市場周囲の廃墟化した店舗
近くの下之一色商店街もシャッター商店街となっていました。
ピークで栄えていた頃は遠方から買付にくるお客さんもいたみたいで【名古屋の台所】と呼ばれていたそうな✨
魚関連以外のお店も軒を連ねていたみたいです、現在は魚を取り扱うお店は壊滅状態でした。
営業しているお店は飲食店や雑貨屋等があります、飲食店は昔からここに住んでいるご老人達の憩いの場になっていました。

下之一色魚市場を見るついでに下之一色商店街も見て回ると中々楽しいです。
今現在下之一色魚市場の解体は始まっていませんが、堤防改修イベントは避けられない運命なのでいずれ解体されてしまい、2度と見る事のできない光景になってしまいます。
気になる方は動画をご覧下さい↓



※こちらは声での解説無し旧バージョン動画となります、映像の使いまわしはしていません、こちらの方が下之一色魚市場付近を集中的に撮影しているのでピンポイントで見たい方、字幕派の人にオススメします。