「〇〇さんと△△さん、雨女だよね。あの2人が来るといつも雨じゃない?」
「そう言われれば、そうだ」
「あの2人を何とかしないと」
という20代女性二人の会話が帰りの電車の中で聞こえてきました。
このブログでも何度か指摘していますが、また改めて雨女問題について話すときがきたようですね。
まず……
① 雨女2人がくることをいつも知っているということは、あんたもいつもその場にいるってことやん。つまり、あんたも第3の雨女やよね? あるいは、あんただけが雨女かもしれへんよね?
② その前の大前提として、本気で、晴女とか雨女とかあるって考えてんの? この巨大な地球の表面を覆っている空気の、ダイナミックに動く気象状況が、たった一人の人間の影響で支配されている、とマジで、マジマジで思とるわけ? 論理的に考えて、そんなことは絶対にありえへんやん?
③ 百歩譲って雨女がおるとして、地球規模で考えれば晴女より雨女のほうが1万倍くらい価値があるで。ロスの山火事現場に呼ばれたら山火事を消して英雄になれるし、アフリカや中央アジアの砂漠化してる土地を緑地に変える女神にもなれる。大谷翔平以上のサラリーで雇われることは確実やで。何を、晴女のほうが上、みたいな感じで言うとんの。
別に、個人的に自分が晴れ女だと考えて、日々を楽しく過ごすのはまったく良いんです、問題ないです。自由です。
うちのパトナだって、「飛行機20回くらい乗ってるけど、台風で止まったこととかないよね、わたし晴女」とかおっしゃいますし(確かに台風はたまたま避けてこれたけど、大震災で夜行列車が走れなくてキャンセルになったやん)。
母親も「わたしら出かけるときは、いっつも天気ええねぇ」と主張しますし(天気が悪くなりそうなら出かけるのキャンセルしてるだけですけど?)。
わたしは雨女だからどこにも出かけたくないってウジウジされるよりは、よっぽどいいです。
しかし、同僚や知人を雨女だと糾弾して、陰口たたいているのは聞いてて気分悪いですね。自分がどう見られているのか、分かってないのも悲しい。この先、自分の間違いに気づく日がやってくるでしょうか。
こういう人間とは日ごろから関わらないようにしているカエサルです。そういう心根の汚れた人間には、いつか雨の報いがやってくることでしょう。