タイ王宮バンコク市街 ©Wikimedia.

 

 

 

 

 

 

 


【10】 「アジア通貨危機」と「金融危機」

 


 第❸章と第❹章に挟まれた短い章は、第❸章「東アジアの勃興」の「コーダ(終曲部)」と題され、1997-98年の「アジア金融・通貨危機」を扱っています。第❸章は、97年1月に日本の明治学院大学で行なったシンポジウム基調講演、「コーダ」は、98年3月ミネソタ大学での講演がもとになっています。おそらくウォーラーステインとしては、❸の「勃興」講演の時には予想していなかった突発的な「危機」が起きたことで、その詳細な評価・論評を行なわざるをえなくなったと思われます。

 

 そこでまず、Wikipedia や、日本の内閣府が公表している資料から、現象面をきちんと把握しておきたいと思います。

 

 

アジア通貨危機(Asian Financial Crisis)とは、1997年7月タイのバーツ暴落に始まった』通貨危機〔東~東南アジア諸国の通貨の急激な下落〕を指す。タイに始まった通貨暴落は、『アジアの中でもドルペッグ制〔ドルに連動する固定相場制――ギトン註〕を採用していたフィリピン・大韓民国・シンガポール・マレーシア・インドネシア各国にも波及し、これらの国家では、外貨準備不足な中での・為替下落による「〔…〕対外債務の急激な増加」によるデフォルト(債務不履行)危機,外資の大量かつ急激な国外への資本逃避(キャピタルフライト)が起き〔…〕その他の東アジア,東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼした。〔…〕

 

 アジア通貨危機は、狭義にはアジア各国における「自国通貨の為替レート暴落」のみを指すが、広義には、これによって起こった金融危機(アジア金融危機)を含む経済危機を指す。

 

 はじめ、タイ通貨バーツは、アメリカの「強いドル」誘導政策のおかげで、ドルに連動して高騰していた(固定相場制)。そのため、タイからの輸出には支障が生じていたが、『輸出が伸び悩みだしても、バーツ高が進行した。これに眼をつけたヘッジファンド〔国際金融商品や為替相場への投機的投資によって差益をもうける欧米等諸国の大手金融機関・国家機関――ギトン註〕の機関投資家たちは、1997年5月中旬から〔…〕タイ・バーツの大量の空 から 売りをを仕掛けた。その結果、バーツは暴落して「通貨危機」が現出し、これがインドネシア韓国等にも波及して、各国通貨を暴落させた。各国は「変動相場制」に移行した。


『これによってタイ・インドネシア・韓国は、経済に大きな打撃を受け、IMF管理に入った。マレーシア・フィリピン・香港はある程度の打撃を被った。中華人民共和国と中華民国は直接の影響はなかったものの、前述の国々から間接的な影響を受けた。』

Wiki「アジア通貨危機. .

 

 

 「固定相場制」とは、自国通貨とドルの交換レートを決めておいて、その「固定レート」を中心とする狭い幅を越えて・実際のレートが変動した場合には、為替当局が介入して「固定レート」に戻す仕組みです。この仕組みを維持するには、外貨(ドル)準備が必要ですが、日本や,ブルネイのような産油国を除けば、アジア諸国には十分な外貨準備高が無かったのです。

 

 

タイ王宮、チャクリ・マハー・プラサト宮殿。バンコク ©タイ国政府観光庁。

 

 

 通貨の「空売り」とは、為替レートへの投機でもうけるために、金融機関等から大量の借金をして、バーツのような高騰している通貨で大量の売りを出し、バーツ相場が下落してから買い戻して借入れを返し、差益を得る手法です。借入れ先は、バーツ資金を持っているタイの金融機関,大企業,金満家ですが、彼らは、「空売り」が自国の潰滅的な金融危機をもたらすことを知りながら、高利のもうけに踊らされて貸し出しに応じるのです。

 

 「通貨危機」が起きると、アジア各国の政府は、外貨準備(ドル)が枯渇し、先進国や先進国企業からの借款(借り入れ)を返せなくなり、国際信用を無くすので、外国の資本も国内の資本も他国へ流出していきます。そのため、国内経済はパニック状態となり、企業倒産が続出し、失業者が街に溢れます。

 

 これを放置しておくと、世界経済全体が混乱に陥ってしまうので、「IMF」等の国際機関や先進諸国の政府は、アジア諸国の政府に、融資による “救済” の手を差し伸べますが、これには厳しい条件が付いています。アジアの政府は、金利を引き上げ、増税とその厳格な徴収によって財政均衡と国際収支の均衡を達成することを強制されます。そのことが、デフレをさらに加速させることとなります。

 

 

『近時の世界経済における特徴の一つに、この時期、東アジア諸国の資本市場規制緩和や中・東ヨーロッパ,CIS諸国の世界経済への統合などにより、発展途上国や〔ギトン註――旧社会主義圏からの〕市場経済移行国への資本流入が急増したことが挙げられる。〔…〕

 

 1990年代に入ってからは、先進国から発展途上国及び市場経済移行国(以下,「発展途上国等」という)に対する資本流入が急速に増加した〔…〕

 

  90年代におけるこれら資本純流入の増加の背景としては、まず、東アジア諸国を中心に、貿易・投資の自由化を進め・直接投資と輸出を原動力として経済成長を図る輸出主導型の経済発展戦略を採用する国が増加したことが挙げられる。〔…〕

 

 資本の送り出し手である先進国においても、これら発展途上国等の外向きの政策を受けて、これら諸国を巻き込んだ生産ネットワークの拡大を進めたことに加えて、これら諸国の市場での運用を行なう〔…〕これら〔ギトン註――諸国〕の市場への投資機会が拡大したことも、資本流入増加に寄与している。〔…〕

 

   アジアは〔…〕他の発展途上地域よりも速いスピードで外国からの資本流入が増大するなかで〔…〕他の発展途上地域よりも高い成長を遂げてきた。

 

 

景福宮の入口:光化門。韓国、ソウル。 ©architecture-tour.com.

 


 反面、大量かつ急速な世界的資本移動の流れを受け入れることは、とりわけ経済規模の小さな発展途上国等』にとっては、『経済の不安定化要因ともなり得る。特に〔ギトン註――ヘッジファンドによる機会的投機のような〕短期資本流入に顕著にみられる特徴として、外国人投資家がこれら諸国の〔…〕成長見通しに懸念を抱いた時には、急速な投資引上げ・資金流出が発生し、その結果、通貨の切下げ圧力や,流動性〔国内の通貨供給量――ギトン註〕の急速な減少がもたらされ、通貨危機金融危機を引き起こす可能性も存在することが挙げられる。

 

 〔…〕発展途上国において、このような外国投資家の資金引上げがきっかけとなって発生した通貨・金融危機』は、少なくない。『今回は、このような資本の流出が直接の引き金となった通貨・金融危機が、東アジア地域で発生した。97年7月のタイ・バーツ大幅下落に端を発し、通貨・金融危機は、韓国,インドネシア,マレイシアを始めとする東アジア諸国にも波及し,為替の大幅な減価や金融市場の混乱を引き起こした。〔…〕今回の危機における直接の引き金は、短期資本を中心とする資本の急激な流出であった』

内閣府『平成10年 年次世界経済報告』より. .

 

 


【11】 1997-98「アジア通貨・金融危機」――

「新自由主義」がパニックを引き起こした。

 


 「アジア通貨・金融危機」の拠って起きた原因について、ウォーラーステインがまず取り上げているのは、米『フィナンシャル・タイムズ』の論評です。その記事によれば、「危機」を惹き起こしたのは「投資家」のパニックだと言うのです:

 

 

『原因の大部分は、外部の投資家の気まぐれに求められよう。〔…〕

 

 〔ギトン註――東アジア諸国への〕資金の流入は、経験の浅いビジネスマンや,信用ある金融機関,腐敗した無能な政治家たちには、とても抵抗しえない誘惑をもたらし、資金の流出は、その後に与えられた罰をいっそう厳しいものにした。〔…〕資本がなだれをうって流出し、為替レートが崩壊し、倒産の波が民間部門を吞み込んでしまって、東アジアの諸国は、パニックにおびえる民間貸し手と、要求ばかりうるさい公的貸し手にされるまま、右往左往することになったのである。〔…〕

 

 ひとたびパニックが発生するや、個々の投資家は、〔…〕他のすべての投資家に先んじて逃げ出そうとする。かくして、〔…〕行動の原因となった〔…〕経済の実際の状況〔…〕よりもはるかに大きな損失が生じるのである。〔…〕

 

 

香港の「葵青(クァイツェン)コンテナ・ターミナル」は、世界で最も

繁忙なコンテナ・ポートのひとつだ。 ©Wikimedia.

1997年は、香港がイギリスから中華人民共和国に返還された年だった。

 

 

 形成途上の諸経済を・グローバルな金融市場に統合するスピードは、急ぎ過ぎるくらいでよい〔…〕という〔ギトン註――新自由主義・グローバリズムの〕考え方は、〔…〕致命的に危険である。Financial Times, 1998.2.16.

ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.104-106. .

 

 

 つまり、この論説が指摘するのは、新自由主義とグローバリズムが、アジア諸国の脆弱な経済がこうむった国際通貨・金融のシワ寄せを、未曽有の経済危機に拡大させたということです。

 

 そして、なおもグローバリズムへの幻想を捨てられない・この論者は、「最終手段としての真のグローバルな貸し手」が不在であることが、問題の根本なのだと結論付けるのです。しかし、「真のグローバルな貸し手」とは何でしょうか? ウォーラーステインの考えでは、「これは、〔…〕アメリカ合州国の構造的な金融的弱体性を、暗に指摘するもの」にほかなりません。「合衆国は、最終手段としてのグローバルな貸し手であるどころか、グローバルな借り手として、現在日本に依存しているのである。」〔アメリカは、「基軸通貨」という名の紙きれを印刷するだけで、いくらでも貸し手になれるのに……〕

 

 じっさい、日本は当時から現在まで、アメリカの政治的圧力に屈して、世界一の米国債保有国となっています。通貨・金融危機に見舞われたタイにたいしても、「IMFは40億ドル、世界銀行は15億ドル、アジア開発銀行は12億ドルの支援を行った。このほか、二国間支援として日本は40億ドルを表明し、アジア諸国へも二国間支援への働きかけを行い、二国間支援総額として 105億ドルが〔ギトン註――タイへ〕支援された。」Wiki「アジア通貨危機」)「危機」の尻ぬぐいは、日本をはじめとするアジア域内諸国がまかなったのです。

 

 

『パニックが起こるのは、投機が存在するとき、すなわち、おおぜいの人びとが主として生産からの利潤によってではなく、金融的な操作によって儲けようとしているときにおいてである。生産からえられる利潤に力点がおかれる局面〔コンドラチェフ波のA局面――ギトン註〕と、金融的操作からえられる利潤に力点がおかれる局面〔コンドラチェフ波のB局面――ギトン註〕とが〔…〕循環的にめぐってくる関係は、資本主義世界経済の基本的な要素である。〔…〕われわれは現在、コンドラチェフ波動のB局面――〔…〕1967 / 73年から続いている――のなかにある

ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.106-107. .

 

 

中国・深圳に立つ鄧小平像。 ©Wikimedia.

1997年に没した鄧小平は、中華人民共和国を改革開放

路線に転換させたことで知られる。1976年第1次天安門

事件では、デモの首謀者とされて公職を剥奪されたが、

1989年第2次天安門事件では最高実力者として武力弾圧

に踏切り、これに反対した趙紫陽総書記を解任した。

 

 


【12】 1967 / 73-2000 の「B局面

――「中核」地域の状況

 

 

 こうして、「アジア通貨・金融危機」の・より深い原因を探るには、1967年ないし 73年から続いているコンドラチェフ波「B局面」で何が起きてきたかを、あらためて振り返ってみる必要があります。資本主義世界システム」の動きは、中核」地域と「半周辺」「周辺部」と に分けて見るのが分かりやすい。

 

 まず、中核」地域の状況:

 


『コンドラチェフ波のB局面の基本的な意味は、望みうる有効需要に対して、生産が過剰になるということであり、その結果、生産からの利潤率が低下するということである。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,p.107. .

 

 

 したがって、「グローバルな解決」は「生産の削減」だが、残念ながら実際にはそうならない。個々の生産者は、利潤率が減ったのだから、生産量を増やして・もとの利潤総額を確保しようとする〔その際に政府・財界・経済学者からの掛け声は、「生産性の向上」だ〕。その結果、過剰生産を倍加し、デフレーションを増悪してしまう。

 

 生産者が執りうるもう一つの手段は、「実質賃金がより低い地域に配置転換を行なって、利潤率を高め」ることである。こちらの方策は、中期的には解決になる可能性があるが、条件がある。「配置転換」への投資は、「グローバルに見てそれに見合うだけの有効需要の増加をともな」わなければならない。いくら賃金コストが抑えられると言っても、そうして切り下げた価格が「有効需要の増加」をもたらさなければ、結局「生産量だけが増加」し、デフレ増悪に帰結する。

 

 

『過去 30年間に起こってきたことは、かくのごとしであった。あらゆる産品(自動車,鉄鋼,電器,〔…〕コンピュータ・ソフトウェア)のグローバルな生産は、北米,西欧,日本から、その他の地域へと配置転換されてきた。これは、中核地域において相当な失業をもたらした。〔そのために、「中核」地域の有効需要は容易に上向かず、「配置転換」による資本蓄積の回復を妨げた。――ギトン註〕

 

 〔…〕コンドラチェフ波の下降局面においては、中核地域の諸政府が、失業を互いに輸出しあおうと努力する〔…〕。1970年代から、とくに 1980年代の初頭においては、アメリカ合州国が最も〔ギトン註――失業輸出の〕被害を受け、ついで、ヨーロッパにお鉢が回ってきた。ごく最近になって日本にもその順番が巡り、〔…〕おかげで 1990年以降、合州国の失業率は再び低下することになった。〔「失業の輸出」⇒:Wiki.――ギトン註〕

 

 

旧・ブリュッセル証券取引所。©Wikimedia. 1868-73年に、ネオルネサンス

様式/第二帝国様式の折衷で建築され、ロダンの彫刻が飾られた。

 

 

 その間、投資家たちはいたるところで、あらゆる種類の金融的投機に没頭してきた〔有効需要も生産も回復しないために、多くの資本が、非生産的な金融投機に向かった。――ギトン註〕。1970年代における OPEC原油価格の上昇は、グローバルな蓄積をもたらし、それは第三世界諸国への借款として再利用され〔…〕、10年間程度はたしかに中核地域の収入をグローバルに維持することになった。もっとも、このようなポンジー・ゲームが続いたのは、それが最終的に 1980年代初頭の』中南米の累積『債務危機によっておじゃんにな』『までの話であった。

 

 このような操作のあとに、第2のゲームが続いた。それは 1980年代の合州国政府(レーガンによる軍事的ケインズ主義〔景気を良くする目的で巨額の軍事費支出を行なう政策――ギトン註〕)と・民間資本家(ジャンク債〔利回りは高いが元本割れのリスクも大きい債券――ギトン註〕)による借り入れ〔銀行借り入れによるハイリスク投資を勧め、その結果、群小資産家を破産させて搾取すること。日本の「変額保険」騒動など――ギトン註〕の組合せで行なわれたが、それもポンジー・ゲームであって、いわゆる合州国の債務危機〔1990年代初め。「双子の赤字」――ギトン註〕でおじゃんになってしまうまでのことであった。

 

 1990年代のポンジー・ゲームは、「短期借入れ」を通じたグローバル資本の・東アジアおよび東南アジアへの流入であった。〔その破綻が、「アジア通貨・金融危機」をもたらした――ギトン註〕

 

 〔…〕重要な点は、この時期における「中核」世界の利潤の大部分が、金融的な操作から得られていたということである。〔…〕生産からの利潤で唯一・意味をもったのはコンピュータの領域、つまりいわゆる「新産業 ニュー・インダストリー」だが、この分野においてさえも、すでに過剰生産点に近づきつつあるのが現状であり、したがって――すくなくともハードウェアにおいては――利潤率は低下しつつある。』

ウォーラーステイン,山下範久・訳『新しい学』,2001,藤原書店,pp.108-109. .

 

 

 「ポンジー・ゲーム」または「ポンジ・スキーム」とは、投資詐欺の手口で、新規の投資家から集めた出資金で、古い投資家に配当するやり方です。「資金を運用して高利回りの配当をする」と宣伝して投資家を集めますが、運用の実態が無く、つねにより多くの投資家を集めてやりくりしているだけですから、いつかは破綻します。

 

 「金融投機」というものは、このしくみをグローバルな規模でやっているにすぎない、と言うのです。10年ごとに破綻して、後追いの群小・素人投資家に損をさせて、少数の機関投資家や政府機関が儲ける仕組み、それがヘッジファンドなどの金融投機にほかなりません。

 

 それは、生産からの利潤〔とは言ってもその実体は、グローバルな「不等価交換」による余剰の搾取だったのだが〕ではやっていけなくなった・資本主義システムの先細りの時代に、生産から乖離した場面で盛行する・不安定な詐欺的搾取なのです。

 

 

 

 

 

 

 こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!


 

セクシャルマイノリティ