今回の話は痛みもリウマチも関係ない話です。
最近、「黄禍論(こうかろん)」という考え方に興味があります。
高校の歴史の教科書や参考書には、なぜかこの言葉が出てこないんです。
不思議ですよね。私は何冊か調べてみましたが、少なくとも索引には載っていませんでした。
でも実はこの黄禍論、私たちアジア人にとってすごく重要なテーマなんです。
この言葉が世界的に注目されるようになったのは、1904年の日露戦争のとき。「アジアの日本」が「ヨーロッパの大国ロシア」を打ち破ったことで、西洋諸国に衝撃が走りました。
ただ、ここでひとつ注目したいのは、ロシア人の多くが「スラブ系民族」だということ。
日本ではロシア人=白人と思っている人が多いですが、当時の西ヨーロッパ(イギリス・フランス・ドイツなど)からは、スラブ系は「周辺的な存在」「劣った白人」として見られていました。
つまり、日本が勝ったことに対して、西欧は「アジアの台頭=脅威」として黄禍論を強める一方で、ロシアもまた“完全な白人”としては扱われなかったという、ちょっと複雑な構図があるんです。
さらに、ロシア国内でも黄禍的な考え方が強まっていきます。
とくにシベリアや極東地域では、日本人や中国人、朝鮮人に対して「危険だ」「労働が奪われる」といった偏見や差別が広がり、排斥運動が起きるようになりました。
こうして見ると、黄禍論は単なる「白人vsアジア人」ではなく、西欧中心の価値観が、周辺の民族や国々を脅威として描き出す構造だったとも言えます。
最近では、世界情勢もまた大きく動いています。
アメリカのトランプ再登場の可能性、ゼレンスキー大統領の動向、ヨーロッパの迷い……そして日本は、どこへ向かうのか。
こうした国際社会の動きを見るとき、「黄禍論」のような歴史的な視点を持つことも、実はとても大切だと思っています。