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5月8日は、怒りの感情がコントロールできないのは、父の言動と同じことをされたときに起きるとカウンセラーの先生に言いました。
5月15日のカウンセリングは、PTSDの先生に、
「もみじさんは共依存です」と言われたことに対して、
「家事は、中学生の頃からやっているし、別居しなかった理由は、両親を経済的に支えたかったのですよね」と不満そうでした。
その後は、別居が話題になったので、父のDVの話しをしました。
「父を殺そうと思いました。だから、そのときには別居したくて堪りませんでした。しかし別居したら大学を卒業できないと思って諦めたのです。具体的に父を殺すことを考えましたが、包丁で刺すのは生々しすぎるので、できないと思いました。ピストルならば、できたかも知れませんが、持ってないので・・・。それで、こんな人もために人生を棒に振るなんてバカバカしいと思いました」と私が言うと、
「ええ!!暴力を受けていたのですか?」と聞くのです。
あれ?何度もカウンセリングでいったと思うのだけれども・・・と私は思いました。
「小さい頃は、叱られるときに暴力を受けましたが、いよいよ認知症が悪化したときは、何度もありました。寒くて居づらい部屋に私がいたら、妹次いで母が来て、3人でキャーキャーふざけていたら、ガラ!!とドアが開いて、空気が凍ったことがありました。暴力を振るって家族から嫌われているので、父を避けるために寒い部屋にいたのに、それが分からないのです。母が一番の被害者でしたが、家族全員が暴力を受けていました」
「父がいなければ、母子3人で楽しく暮らせると思っていましたが、経済的な問題を抱えていたのに、最初は妹は家に1円も入れずに飲み歩く生活でした。妹が結婚後、私が股関節固定術を受けたことがきっかけで、不定愁訴が悪化したのに、母が『信用を無くすから、仕事に行け!!今からでも遅くない!!』と言って、モンスターになりました」
「では、お父様に次いで、妹さんがモンスターになり、最後はお母様だったのですね」
「そうです。父も妹も母も何を考えているのかよく分かりません。今は自分さえ好ければ気にしない人達なのだと思っています。大学のときには、私が1番最後まで起きていたのに、誰も『家事を替って上げよう』と言わないのです。皆知らないのかなと思ってしたが、父が「遅くまで起きていてうるさい』というので、知っていることを私は知りました。父が隣家に放火して、その火が自宅に燃え移ったときは、『地獄の生活は終った』とホッとしました」
この日は、一方的に私が話してカウンセリングは終りました。
父の病名は、最初は、躁鬱病でしたが、若年性認知症に替りました。
続く
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