苦悩をなくし人生を変える痛み改善ドクター 富永喜代です。
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■なぜ麻酔科医になったのか その1
からの続きです。
皮膚科に入局できないことがわかり、
路頭に迷ってしまった1月。
「こんなはずじゃ無かった。」と悔やんでも
時間だけが過ぎていく。
進路の決まらない私を横目に、
周りのみんなは、入局を決めていった。
当時の私は、確かに、落ち込んでいた。
しかし、今の私から見れば、
私は努力をしなかったのだ。
そんなに皮膚科医になりたかったのなら、
全国の医学部皮膚科医局に
片っ端から願書を書いてお願いに行け、と言いたい。
しかし、当時の私には、
一歩を踏み出す勇気がなかった。
グズグズ煮え切らない時間を不毛に過ごしていた。
1月の半ば。
ある基礎医学の教授が、私に声をかけて下さった。
「うちの教室に入らないか?」
医学部は、大きく分けて2つの教室がある。
生化学、免疫学、解剖学などの基礎研究を主体とする基礎医学系教室と、
内科、外科、小児科などの臨床医学系教室だ。
希望を失っていた私は、
「臨床の皮膚科医になりたかったけれど、
医局に入れなければ、なれないわけだし。
臨床系で他になりたい医者もないのだから、
基礎系で研究を積もう。」
と、気持ちを切り替えた。
1月下旬。
卒業後の進路を決めたことを話すべく、
実家に帰った。
「基礎医学教室に、入ろうと思う。」
と、打ち明けた。
すると、父親の顔がみるみる歪んでいき、
「アホか!
そんな訳の判らん者にするために、
医者にしたんじゃないんだ!!!」
と、激怒され、許してもらえなかった。
田舎の漁師まちの両親に、
「基礎医学」といっても、何のことかわからなかっただろう。
医者として働いて、高い収入を得て、
自立して欲しいという気持ちもあったはずだ。
基礎医学の医者の生活が想像できないことは、当然だった。
親には、貧しい中、
6年間も大学に行かせてもらった恩義がある。
最後は、親の意向を無碍にすることはできなかった。
結局、教授のお誘いはお断りした。
卒業時、
1.女性という理由で、皮膚科に入局できなかったこと
2.自分を納得させる努力もせず、夢をあきらめたこと
3.自分の人生の重大な決断に、
自分以外の人間の意向を優先させたこと
これらの挫折から、多くのことを学んだ。
今の自分を形成づける要因となった。
社会は、道理だけでは回らない。
それでも、もし、
本気で欲しいもの、なりたいものがあるのなら、
自分で勝ち取りに行く最善の努力をしなければならない。
努力をしたからと言って、全てが報われる訳ではない。
しかし、
行動を起こした者しか果実は味わえない。
勝利の女神は、強者を好む。
勝負に出なければ、チャンスを掴むことはできない。
11坪7人家族で育ち、
小学校からたこ焼きやいて、
綿菓子を作って働いてきた私だ。
私は、失敗や挫折を受け入れることができる。
しかし、挑戦しないことだけは、受け入れることができない。
だから、
人脈ゼロ、資金ゼロでも開業する決意ができた。
このブログの題は、
「なぜ、麻酔科医になったのか?」なのに、
まだ、麻酔科が出てこない(笑)。
すみません、次回に続きます。
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私が「富永ペインクリニック」
を開業するまで
~麻酔科医になった経緯はこちらから↓
■なぜ麻酔科医になったのか その1
■なぜ麻酔科医になったのか その2
■なぜ麻酔科医になったのか その3
■なぜ麻酔科医になったのか その4