富永喜代が語る!なぜ麻酔科医になったのか?part 3 | 痛みで苦しまない人生を医学の力で導く痛み改善ドクター富永喜代のブログ

痛みで苦しまない人生を医学の力で導く痛み改善ドクター富永喜代のブログ

富永ペインクリニック院長。医学博士。2万人の臨床麻酔実績を持つ麻酔科医。おはよう日本、金スマなど出演多数。著書は95万部超。YouTube『女医 富永喜代の人には言えない痛み相談室』チャンネル登録者数24万人、総再生回数5000万回。SNSフォロワー35万人。

苦悩をなくし人生を変える痛み改善ドクター 富永喜代です。



■なぜ麻酔科医になったのか その1     
■なぜ麻酔科医になったのか その2


 からの続きです。




なりたい臨床科もなく、


基礎医学の道も閉ざされたと思った。


1月終盤。



「もう、どうでもいいか」と


投げやりな考えに落ちて行った。







でも、どこかに属さなければ生きていけない。







友人のYちゃんが、放射線科に進むと言う。


人と話すのが苦手だし、


将来、妊娠出産しても、


自分のペースで仕事ができるからだ、と言う。


そういう考え方もあったか、と視点を変えた。








そうだ、麻酔科はどうだろうか?


麻酔科ならまだ人は少なく、


女性だからと差別もされないだろう。


麻酔科って何するのかもよく知らないけど。。。


当時、内臓の病気を抱え


大学病院に入院して病室から授業を受けていた私には、


座って仕事ができる、という点も魅力に思えた。


今の今まで麻酔科に対して興味はなかったが、


条件だけで、進路を決定することにした。








これは、


一回もあったことのない人と1回のお見合いで結婚する


お見合い結婚みたいなものだった。


お見合い結婚も、2つのケースがあるだろう。


一緒にいて歴史を重ねるごとに気心が知れてきて、


素晴らしいご夫婦になられるケース。


もうひとつは、


決められた結婚相手に愛を感じることができず、


かといって離婚もできず、結婚生活を継続するケース。








私と麻酔科の場合は、後者だった。









仕事を早く覚えようと人一倍努力した。


やけくそになりそうな自分を忘れるため、


仕事だけに打ち込んだ。


はた目からは、よく頑張る女医さんだねえ、と見えたかもしれない。


しかし、


心の中では、仕事に対して全く熱意が持てなかった。


誰にも心を開くことなく、ただ忙しくすることで


満たされない心を埋め合わせようとしていた。








漠然と、転科も考えた。


しかし、●○科に入りたい!という


熱い希望もなくなっていた。


麻酔科に入局して、4年の歳月が流れた。







忙しさで自分を忘れることしか


仕事の意義がなくなっていた私に、


転機が訪れた。


それは、自ら望んで転勤願いを出した、


聖隷浜松病院への勤務だった。








そこで私は、


人生の恩師 K医師に出会う。



苦悩をなくし人生を変える痛み改善ドクターのブログ





続きます。



------------------------------------------------------------■

私が「富永ペインクリニック」 を開業するまで
~麻酔科医になった経緯はこちらから↓

■なぜ麻酔科医になったのか その1     
■なぜ麻酔科医になったのか その2
■なぜ麻酔科医になったのか その3     
■なぜ麻酔科医になったのか その4

OSZAR »